史上初のスーパーマーケット
アメリカのスーパーマーケットについての文献としては、M・M・ジンマーマンの『ザ・スーパーマーケット』がたいへん優れています。
この書物には、スーパーマーケットと称する小売業が1930年に誕生した様子が、実に生きいきと描かれています。

クローガーというグローサーチェーンに働いていたマイケル・カレンが、小売業の新しいコンセプトを提案するのですが、それは社長の耳にまで届かず握りつぶされてしまいます。カレンは会社を辞め、そのコンセプトを自ら実行しようとします。なかなか見あげたビジネスマン根性です。
その彼が開いた店がキングカレンの店。彼は自らを世界でもっとも大胆な価格破壊者と称しています。

この店の特色は次のようなものです。
①店舗の大型化
②セルフサービス
③ダイナミックな価格政策
④強烈な広告
これが歴史上初のスーパーマーケットだったわけですが、このコンセプトを引き継ぎ、発展させたのは、皮肉なことに、カレンが去ったクローガーをはじめとするグローサーチェーンでした流通業に関係ある人なら誰でも知っているこの話のことはこの程度にして、アメリカにおけるスーパーマーケットの本質、とくにその後日本で見逃された部分について考えてみたいと思います。

初期のスーパーマーケットの定義
ジンマーマンのスーパーマーケットは、「スーパーマーケットの起源」と「成り上り産業、流通界を破壊す」で、マイケル・カレン出現の直前直後の状況を書いています。
まずスーパーマーケットの定義です。

スーパーマーケットは高度に部門化された小売店で、食品とその他の商品を扱う。完全に所有者の直営によるか、委託業者により運営されるかである。十分な駐車場を有し年商は最低25万ドル。しかし、グロサリー部門はセルフサービスでなければならない

「スーパーマーケットの心臓はセルフサービスであったし、いまもそうである。しかし、1930年においては、セルフサービスと現金払い・持ち帰りは、わが国では新しいものではなかった」

「ニュージャージー食品小売商協会の事務局長は、年次総会で演説をして、その会貝企業に対し、(スーパーマーケットに席巻されるかも知れないという)恐れは去ったと保証した。
われわれすべてが数年前にもっていたスーパーマーケットに対する脅威は一掃されたと彼は語った。

おそらく、明るい点はわれわれ小売商の多くが、マーチャンダイジングのやり方において、より積極的になったということである調査によれば、スーパーマーケットの売上高の70~80%はチェーンストアから奪ったものである。チェーンストアの顧客は、もともとスーパーの武器と同じもの、つまり低価格サービス品を好んでいたのである」これは、独立店がスーパーマーケットに対して抱いていた気持ちをよく示しています。
一方、チェーンストアの経営者は、次のように考えます。

「チェーンストア経営者、とくに現金払い・持ち帰り方式を、ほとんどひとつの科学にするまでに多くの歳月をささげてきたチェーンストア経営者は、スーパー、中でも通常の町や村をはずれた場所に貧弱な建物を建て、訴求することといったら価格だけ、というようなスーパーが、それほど消費者の支持を得るということが理解できなかった。

強力なチェーン経営者にとっては、この粗野なやり方はチェーンがやってきた科学的小売業の、まさに反対のものであった。この科学的小売業は20年以上にわたって勝利をおさめてきたもので、アメリカにおける食品の売上高の45%以上を確保することに成功してきたのである。

チェーンストアが、アメリカにおける全食品売上高の75%を支配する日もそう遠くはないと、つい少し前に吹聴したばかりであった。
食品の商売が、樽詰めのクラッカーを売っていた、馬と馬車の時代に戻りつつある、言いかえれば、人びとが食品を求めて25マイル以上も車を走らせ、チェーンが完成させてきた人間的サービスを犠牲にするつもりである、ということをチェーン経営者は信ずることができなかった。
そうした人間的サービスに、消費者夫人はすっかり慣れてしまっているようにみえていたのだ。

人気のない工場が並んでいるうちの一つの建物の中につくられた平均的スーパーマーケットの店舗と私どもの食品店とを比べてみてくださいとチェーン経営者は言いたかったのだろう。スーパーマーケットの建物や荒削りの松材で作られた什器と私どもの店舗や什器を比較してください。そして、店の中には何があるでしょうか?どうしてもサービスが必要なごく少ない特殊な場所を除くと、そこには販売員もいないんですよ。

チェンストアやチェーンストア経営者はその仕事に関して得たと思っていたすべての知識を動員しても、本当のところ、自分の顧客については知っていなかったのである。

しかしながら、何人かのチェーンストア経営者は、食品の流通分野において一つの革命が起ころうとしていることに気がついた。
彼らは、彼らもまた変化し、新しいスーパーマーケット方式に素早く適応せねばならないことを、そしてたといどんなに効率がよくても小型店は棄てなければならないことを悟ったのである。

多数のスーパーマーケットに実質的に取り囲まれてしまい、何年間もスーパーマーケットとの競合というものを強く感じとってきたあるチェーンストア経営者は、とくに、スーパーマーケット運動が、チェーンや独立店の犠牲において、成長し栄えるだろうということを、すぐに確信するにいたった。



日本的スーパーマーケットの変質
アメリカのスーパーマーケットが、元来、消費者の内食材料調達行動に対応した、いわば内食材料提供業であるのに対して、日本では、今日、業界のごく一部の実務家を除いて、スーパーやスーパーマーケットを、そのようなものとは認識していません。

近年、業界ジャーナリズムも、流通を研究する学者も、食品中心のセルフサービス店を、スーパーと区別して、スーパーマーケットやSMなどと呼ぶ程度にはなってきていますが、それとても、「確かに、食品中心のセルフサービス店は、威風堂とした大型店とは異なる何からしい。

アメリカのスーパーマーケットも食品中心であることは確かだから、これを狭義のスーパーマーケット(SM)と呼ぶのは適当だろう。しかし、この種の店をスーパーマーケットとあえて呼ぶにしても、それは、むしろ、大型店に比べて、売上高も少なく、店も貧弱であるうえ、儲けも少ない、要するに冴えない店の代名詞じゃないか」というようなところが、本音ではないでしょうか。

だから、日本のスーパーマーケットのなかから、世界の流通業の歴史のうえでも特筆すべき革新が生まれていても、その真価は理解されていないのです。そして、その無理解のうえに、ことさら、スーパーマーケットの将来を暗く考えて、大型店中心の企業による系列化が進むというような未来図を描く、とんでもないジャーナリズムやアカデミズムさえ現われてくるのです。」

しかし、スーパーマーケットを食品中心と限定して考えている人びとは、たとえその評価は低いものであったとしても、まだましなほうです。流通業界以外では、スーパーやスーパーマーケットが、食品中心であると考えたり、その経営の基本が近代産業の思想に立脚していると考えている人は、ほとんど存在していないと言っても過言ではないでしょう。

一般にはスーパーは、あくまでセルフサービスで大量に仕入れて安く売る商売なのです。つまり、アメリカから導入されたスーパーマーケット概念は、20年の間に、そのもっとも本質的部分を取り去られ、むしろ、その失われた本質的部分のための手段であった形態的特色のみを指す言葉に変質してしまったわけです。

このような、一種のすりかえがどのようにして起こったのかは、まことに興味深いテーマです。有史以来、進んだ外国の模倣をしつつ生きてきた日本文化史の縮図としても意味のあるものだと思います。

昭和30年代においては、スーパーマーケットが食品中心の小売店であることは、一貫して強調されていました。スーパーマーケットとは、近代産業の思想で運営される食品中心の店であることを知っていました。
その中身が変質していく過程、それは、次のふたつの歴史的事実の進行と同時に進んでいったと考えられます。

ひとつは、本来のスーパーマーケットを目指した企業の伸び悩みです。
もうひとつは、本来のスーパーマーケットから離れた企業の驚異的成功です。


つくるべきスーパーマーケットの条件
さて、このようにスーパーマーケットにおける品揃えの中核は、食事の材料ですが、いったいそれはどんな食事の材料なのでしょうか。
それはそのスーパーマーケットを経営しようとする企業の考えいかんにかかっている、つまり高額所得者の食事の材料を扱っても、ごく普通の家庭の食事の材料を扱っても、どちらも業態としてはスーパーマーケットであると考えられます。

ただ、普通の住宅地に店をつくる場合、最も商売として成り立ちやすいのは、その住宅地に最もたくさん住んでいる住民を対象に選ぶことでしょう。高額所得者のみを対象とするスーパーマーケットは相当広い商圏(通常のスーパーマーケットの数倍から10数倍)を対象にしないと成立しないでしょう。日本では、所得差による生活水準の差があまり大きくないのも、高額所得者に対象を限定したスーパーマーケットの成立をむずかしくしているでしょう。

また、その食事がどんな食事なのか、つまり日常的なものに限るべきか、それともかなり特殊な日の食事、たとえば結婚披露の席に出してもいいような食事の材料も扱うべきか、私はそれも企業の方針の問題だと思います。

ただ、この場合も、最も商売として成り立ちやすいのは、言うまでもなく日常的な食事の材料に限ることです。もっとも、何をもって日常と言い、何を特殊な日と言うかさえ明確ではありえず、したがってこの議論はあまり意味がないかもしれません。要は、食事の材料でありさえすれば、その立地で、ある程度以上売れる商品であるかどうかということだけが、判断基準であっていいと思います。

以上のように考えてきますと、最も典型的なスーパーマーケットとは、普通の家庭の日常的な食事の材料を中核に品揃えする店だということになります。
そのような店に買い物に行く最も代表的な人は誰か。それは主婦です。したがって、スーパーマーケットにとってのワンストップ・ショッピングとは、日常の食事の材料を買いに行く主婦が、それと同時に買い物をすると便利と考える、そういう商品に限られてくるのです。

このことの意味をはっきりさせるために、いくつかの例をあげると、
●お見舞い用のフルーツの盛り合わせは、スーパーマーケットの品揃えとしてはふさわしくない(買い物行動が別)
●下宿している学生のための家庭雑貨はスーパーマーケットにふさわしくない(対象とする顧客が別)
●学生のための文房具は、それが母親が買いに行くようなものでなければスーパーマーケットにふさわしくない

というようなことになります。これらの商品がスーパーマーケットの売り場を占拠するということは、その店が本来の内食材料提供業として、その分だけ不足するところがあるということにならざるをえません。

一方、次のような商品はスーパーマーケットにとって、ワンストップ・ショッピングのためにぜひ必要な商品です。
●果実は、スーパーマーケットにとって本質的と思われていますが、その大部分は内食材料そのものではなく、菓子や雑貨と同じように、むしろワンストップ・ショッピングのために取り扱われるアイテムです。このことは、何らかの事情で極端に売り場の狭い店にスーパーマーケットの機能をもたせたい場合、果物のかなりの部分は、カッ卜しても本質的機能は損なわれないということを意味します)
●菓子(果物とよく似た性格のものです)
●消耗雑貨
●惣菜・弁当
●その他、内食材料を買いにいく主婦が買うと思われる商品で購買頻度が食事の材料に近いもの

惣菜・弁当については、スーパーマーケットで取り扱うのが当然であるかのどとき通念がありますが、それは、必ずしも正しくありません。
惣菜については、温かくないとおいしくないものについては、内食材料調達行動に伴うワンストップ・ショッピングで購入しても、実際に食べるときには、冷えてしまっていておいしくないということにならざるをえず、その意味で、それはコンビニエンス・ストアか、惣菜専門店にこそふさわしいといわざるをえません。

弁当については、主婦自身が家で食べるものは、スーパーマーケットにとって取り扱うべき品目ということになるでしょう。


このページを見た人は、こんなページも一緒に読まれています!