生鮮食品のテナント委託方式
生鮮食品を直営化することを断念し、これらを、肉屋、魚屋、八百屋のテナントにゆだねてしまおうとする考え方です。テナント委託方式とでも言えましょう。
トップ自身が肉・魚・青果いずれかの職人で、部下に子飼いの職人たちを使うという場合で、トップの商売感覚がすぐれていると、なかなか強力な店が実現します。

トップ職人型の生鮮直営方式とでも言えましょうが、昭和40年代終わりまでに、生鮮の強いスーパーマーケットと言われていたもののほとんどすべては、このタイプと考えていいでしょう。

トップ職人型は、次のような特色をもっています。
①店舗数の拡大とともに売り場のレベルにバラツキができる。
10店舗以上をよいレベルに保つことはきわめて困難。これは職人に依存していることの当然の帰結です。店舗拡大のスピードも、子飼いの職人の数によって限定されるばかりか、ある程度店の数がふえると、職人相手の直接的な人間関係のみを通じた監督にも限界が生じるのです。
ひと昔前スーパーマーケットは店数がふえると生鮮が弱くなると言われましたが、それはトップ職人型のスーパーマーケットにあてはまることです。

②生鮮三品の強さにバラツキがある。
トップが肉・魚・青果のいずれの出身であるかということがいつまでも影響します。トップの出身部門以外は、その肉親や友人が、やはり職人トップとなって統括するのですが、やはり、創業者であるトップにおよばないのが普通だからです。

③トップの趣味が売り場に出る。
トップ職人型は、結局、職人トップのワンマン体制です。たとえば品揃えひとつ決めるのも、科学的リサーチの結果などまったく問題にされません。何らかの理由でトップが感じたことがそのまま売り場にでます。
これはトップ職人型の長所でもあります。トップの感覚がよければ、すばらしい売り場ができるからです。

しかし、それも数店限り。職人の世界ではトップが直接やる以外、せっかくのトップの感覚を伝達する手段がないからです。
店数が少なく、トップの感覚がよければ、よい店ができるという特色があるので、スーパーマーケットを企業としてではなく家業としてやっていこうとする場合には、この方法でもいいかもしれません。

トップ職人型は、アメリカのスーパーマーケットがグローサーチェーンから継承した科学的管理の側面をまったく無視したものです。その意味で、これは、オーソドックスなスーパーマーケットとは言えないでしょう。


ふさわしいサービスの条件
内食材料提供業としてのスーパーマーケットの売り場の雰囲気やサービスの水準について、消費者はどんなことを期待するでしょうか。
このことについて、しばしば見受けられる誤りは、つぎのふたつです。

ひとつは、スーパーマーケットの本質を安売りと考えることに由来するもので、店内サービスはむしろ必要悪で、できることなら、かぎりなくゼロに近づけるべきであるとする誤りです。
もうひとつは、その反対に、何であれ店内サービスは多ければ多いほどよいと考える誤りです。

内食材料提供業であるスーパーマーケットには、内食材料を調達に主婦がやってくるわけですから、それにふさわしい店内サービスというものがあるはずで、それはこのふたつとは、異なるものです。内食材料の調達にやってくる主婦は、休日に家族と一緒に百貨店にいくときの主婦とは、別の人です。

かたや遊ぶ人、かたや働く人。同じ人物でも、心の持ちようが、まったく違っています。当然、身なりも、表情も、歩くスピードさえも違っています。主婦はスーパーマーケットに内食材料の調達という仕事をしに行くのです。ですから、スーパーマーケットは、何よりもまず主婦にとって仕事の場としてふさわしいサービスを提供してくれる場所でなければならないのです。

仕事というと、つまらない、いやそれどころか、苦痛を伴う嫌なことと考えがちですが、それは一昔前の仕事観です。今日、仕事はできるだけ楽しくなされなければならないと考えることは、むしろ当然のことでしょう。いわんや、スーパーマーケットは買い手を迎える売り手の立場にあります。

重要取引先を迎える企業の営業マンにふさわしい、心からなる歓迎の姿勢を示さなければなりません。仕事としかし、何よりも大切なのは、主婦の望むような内食材料提供がスーパーマーケットによってちゃんとなされていることです。これが、スーパーマーケットという業態が、常に機能としての完壁性を備えていなければならない理由です。
そして、機能として完壁になっていたら、主婦は、当然に楽しさを求めます。そして、その楽しさは、楽しく仕事ができるという楽しさなのです。


提供する商品の品質条件
次に、品質の条件を考えてみましょう。
主婦が、日常の食事の材料に期待する品質条件は、けっしてむずかしいものではありません。あまりにも常識的すぎて、ことさら書き出すのが少々面映いくらい常識的なことです。

それは料理の目的に照らして、過不足なく十分であるということです。また、ワンストップ・ショッピングのために品揃えされる商品についても、その使用目的に照らして品質条件が決まることは、言うまでもありません。その内容については、わざわざ例をあげたりする必要もないでしょう。

ここで重要なのは、いわゆる安かろう悪かろうという商品は、絶対にその対象にはならない、ということです。それは、購買時点はまだしも、使用時点においては、必ず消費者の期待を裏切るからです。また、これは、しばしば誤解されることですが、使用目的と関係なく上質であったり、高級であったりする商品も品質がいいことにはなりません。

品質の条件のなかで、とくに問題になるのは、生鮮食品の規格についてです。
生鮮食品が、スーパーマーケットで扱う他の商品と違う点のひとつは、その規格をスーパーマーケット自身でつくらなければならないということです。

ここで規格とは、たとえばロース肉の脂身識の厚さをどの程度にするかというようなことです。厚すぎても薄すぎても本当においしい商品にはなりません。だから、規格をどう決めるかということは、スーパーマーケットにとって、きわめて重要な意思決定事項です。

職人に依存しているスーパーマーケットの問題点のひとつは、この重要な意思決定事項を個々の職人が、勝手に決めているところにあるのです。
スーパーマーケットは、企業として自社の取り扱う生鮮食品の規格を決定しなければなりません。その規格が、顧客の料理用途にぴったりと合っていなければならないことは言うまでもありません。

もし、理想どおりに規格がつくられ、そして実際の作業が正しくなされた結果として顧客の好みどおりの商品が、いつも提供できたとしたら、そのスーパーマーケットにとってすべての生鮮食品は、きわめて強力なストア・ブランドとしての意味をもってくるのです。

鮮度の条件はきわめて重要です。これは、生鮮食品についてはもちろんですが、加工食品についてもしばしば問題になります。
論理的につきつめて考えれば、鮮度も、品質条件と同様、目的にかなえばよいということになるのですが、こちらのほうは、目的との関係で少し鮮度が低くていいなどという具合にコントロールすることがむずかしいものです。

もちろん、だからといって生鮮食品を無菌状態に保つなどというほど絶対的な条件をつくり出す必要はありませんが、いわゆるイキのいい状態に保つことが必要です。つまり、生鮮食品は、「悪くない」「まだ食べられる」などという水準ではなく、「積極的にいい」という状態で販売することが要求されるのです。

生鮮食品の鮮度は、スーパーマーケットの店内で改善されることはありませんから、積極的にいい鮮度を保った商品を提供しつづけるためには、店に入荷する時点で最高の鮮度を保持しているとともに、その後店内で、鮮度劣化を来さないようにさまざまな工夫が必要になってきます。

価格が、少しでも安くあって欲しいというのは、家計をやりくりしている主婦の心の底からの願いです。1日の予算を、たとえば2000円と決め、それを1円でも越えたらレジで最もいらなそうな商品をおいて帰る、などという生活防衛に必死の主婦の姿を見たら、内食材料提供業としてのスーパーマーケットが、少しでも安く売れるよう努力しなければならないことは、当然過ぎるほど当然のことと納得できます。

したがって、安売りをスーパーマーケットの原点と考えることは間違いとしても、スーパーマーケットは主婦と同じ必死さで経営努力を重ねて効率よい経営を実現し、その成果を消費者に還元すべきです。
また、スーパーマーケットは、一品一品の価格ばかりでなく、生活費全体を抑えることに貢献すべきです。たとえば、無駄のない商品提供を行なうというようなことで、これは規格とも関係のあることです。


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