セルフサービスとチェーンストア
セルフサービスとチェーンストア。
これこそが、スーパーマーケットを全く知らない人びとにそれを理解させるための鍵なのです。そして、そのことは、第二の突飛な事実によって裏書きされるのです。それは、昭和40年代初めまでに日本の流通業界に誕生した団体の名称が、「日本セルフサービス協会」と「日本チェーンストア協会」の二つだったという興味深い事実です。

アメリカの協会はその当時「スーパーマーケット協会」で、後に「フード・マーケティング協会」と変わりましたが、スーパーマーケットが食品中心の店である以上、どちらも、基本的に食いもの屋協会で、日本の協会のネーミングと著しい対照をなしています。

当然できてもよいはずのスーパーマーケット協会が日本にできなかったのは、当時の日本人が、アメリカの小売業を進んだ販売方法としてのセルフサービスと、進んだ経営形態としてのチェーンストアの二つに理解したことを示しています。

関係者に聞いたところ、日本セルフサービス協会では、後になって「セルフサービス」という販売方式について協会ができている奇妙さと不便さに気がついたので、40年代にいくどか主管官庁に、日本スーパーマーケット協会に変わりたい旨打ち合わせましたが、「セルフサービスのほうがスーパーマーケットより広い業種を対象にしうるのだから、何もいまさら範囲を限定せずともよい」ということで、今日に到ったのだそうです。


セルフサービス方式を導入する理由
安売りについて論ずる場合、セルフサービスについて触れないわけにはいかないでしょう。セルフサービスは、スーパーマーケットを象徴する販売方式ですし、スーパーマーケットの安売りは、セルフサービスによって実現されるのだと多くの人によって信じられてきたからです。

セルフサービス方式は、一般に人手を省くため、つまり省力を目的として採用されていると考えられています。そのイメージは、新聞の無人スタンドのようなもので、サービスは悪くなるし、不心得な人は金を払わずに商品を持ち帰るかもしれない。

でも、高い人件費に比べれば、そんなデメリットなど問題にならないという考え方です。これは、本来あって当然のサービスを省くことにより、スーパーマーケットは、その分安く売ることができるという理屈につながっています。

スーパーマーケットの社会的機能を内食材料提供とするなら、本来あって当然のサービスとは、内食材料提供業として当然のサービスということになります。それを省いてでも安く売るというのは、本来の目的と矛盾していますし、それは安かろう、悪かろうという考え方以外の何物でもありません。

スーパーマーケットは、内食材料を提供するという機能を目的にしてンステムズ・アプローチで設計される業態ですから当然のサービスを省いて安くするなどという発想とは、まったく相容れません。
それでは、スーパーマーケットがセルフサービスを採用するのは、何故なのでしょうか。
内食材料提供業としてのスーパーマーケットは、内食材料を買いに来る消費者にワンストップ・ショッピングで食料品や雑貨などを提供するわけですが、それらの商品には、次の特色があります。

①商品の種類は、きわめて多く、容量の違った品目まで別の品目と数えると、経験的に、今日の日本の消費者を満足させるためには、1万品目以上の品揃えが必要である。

②一方、これらの商品は、内食材料として日常的に使われているため、消費者は、それらについての知識を〈常識〉として持っている。もし、持っていない消費者がいたとしても、それらの知識の伝達は、それほど困難ではなく、紙のうえに書いた簡単なインストラクションやテープレコーダーに吹き込んだ簡単な説明で、その使用法を十分に伝えることができる。

つまり、スーパーマーケットが扱うべき商品は、本当に日常的なものばかりなのである。
このような特色を備えた商品をどんな顧客が買いに来るのでしょうか。内食材料提供業にくる顧客には、つぎの特色があります。
①そのほとんどが固定客である。すなわち、大部分の顧客が週に一回以上その店に来店している。

②顧客の数が、きわめて多い。経験的な数字では、住宅地のスーパーマーケットで、一日2000人から3000人ぐらいである。

商品と顧客のこれらの特色を前提にして、その販売にあたっては、いったいどんな方法を採用するのが合理的でしょうか。

すべての商品をガラスケースに入れ、顧客に列をつくらせ、顧客の注文を聞いてから、商品を探して取り出すという方法(対面販売方式)を採用すべきでしょうか。
それとも、顧客から注文を受け、そのとおりに商品をピックアップしてそれを梱包し、顧客のもとに届けに行く方法(宅配方式)を採用すべきでしょうか。

一般論としては、そのいずれもが能率の悪い方法です。顧客は、長く待たされていらいらするか、膨大なコストを転嫁された高いものを買うことになるか、内食材料の調達という目的に照らしたらおよそ馬鹿げたことにならざるをえません。

もっともよい方法は顧客のだれもが理解しやすい商品の配列を考え、顧客にカゴかカートを用意し、各々が自分の好みのものを選んだあとで、集中的に清算する方式(セルフサービス方式)にならざるをえないのです。

つまり、スーパーマーケットがセルフサービス方式を採用する理由は、一般にしばしば思われているように人手を省くことではなく、それが内食材料提供業の商品分配方式として断然すぐれているからなのです。

しかも、今日のもっとも進んだスーパーマーケットにとっては、セルフサービス方式でなければならない、もっと絶対的な理由があります。すなわち、対面販売方式は、生鮮食品加工における流れ作業と矛盾するのです。流れ作業に基づく高速の加工作業が、スーパーマーケットにおける生鮮食品の鮮度や品揃えにどれだけ大きく貢献しているか考えれば、セルフサービス方式でなければならないわけがわかるはずです。





安売り概念との不幸な癒着
かくして、アメリカのスーパーマーケットからスーパーやスーパーマーケットという言葉を導入しながら、日本の流通業界は、食品業ということがスーパーマーケット概念の本質とは考えなかったのです。そして、いわばその代わりにセルフサービスとチェーンストアの二つの概念に加わった第三の要素が安売りだったのです。

安売りが、当時の人びとにアメリカの進んだ小売業の本質のひとつと受け取られたことは、容易に理解できます。

40年代中ころ、すでに日本のスーパーが急成長をとげはじめるようになってから、アメリカのスーパーマーケットの店内における価格訴求の強烈さに非常に強い印象を受けました。DISCOUNTという文字がやたらに目に飛び込んできます。

これには、テレビ広告で競争相手の製品を直接攻撃しても受け入れられるアメリカ人の広告に対する心理、アメリカのスーパーマーケットの成熟度合、さらには、日本ほど生鮮食品が武器になりにくいため、すぐにグロサリーの価格競争が全面に出ざるをえないアメリカの事情など、いろいろなことが関係するようですが、30年代においてそんなことが見抜けるはずもありません。

はじめてアメリカを訪れた人が、安売りこそ、スーパーマーケットの本質と考えるようになったのは当然すぎるほど当然のことです。日本におけるスーパーマーケットと安売りの不幸な癒着は、このときからはじまったようです。

セルフサービスで人手を省き、チェーンストアでマスメリットを出して安く仕入れた商品を安売りする、という具合に、セルフサービスやチェーンストアという概念と安売りという概念は、きわめて単純に結びついてしまうのです。

スーパーマーケットがセルフサービス方式を採用する理由は新聞の無人スタンドのような意味で人手を省くためではありません。また、大量に仕入れたら安くなるというのも、いろいろと前提条件がつく話です。

経済学の教科書にあるとおり、財の価格は、需要と供給の関係で決まるので、一般論でいえば、むしろ大量に買う、すなわち需要が増せば、財の価格は上がるはずです。少なくとも、何でも大量に買えば安くなるという闇市のような単純な原理でないことだけは確かです。

こうして、セルフサービス、チェーンストア、安売りこそ、スーパーの本質的条件と理解されるようになったのですが、その当然の帰結としてメガネのスーパーとかカメラのスーパーそしてスーパー問屋などと小売業以外のものまでスーパーと呼ばれるようになりました。一方、元来アメリカのスーパーマーケット概念には含まれていた食品業などが抜け、それと同時に、スーパーマーケットにとって最も本質的であった何かも抜け落ちてしまったのです。